・遊就館(靖国神社にある戦争博物館)へ行ってきた
・人間の死を追体験することで、真剣に生きたい気持ちが強まる
・明日死ぬかもしれないという思いを持って生きる
「私は明日死ぬかもしれない」という意識が、人生の選択において大切な材料となるかもしれない。
ぼくらは死を体験することはできないが、戦没者の声に耳を傾けることで、死を追体験することはできる。
死について考えたくて、遊就館(靖国神社)へ行ってきた
2月3日日曜日、遊就館へ行ってきた。
遊就館は、靖国神社にある戦争博物館だ。
江戸川橋方面から靖国神社のある九段下まで、神楽坂を下って目的地を目指した。
遊就館へ行こうと思ったキッカケは、2週間ほど前に発症したインフルエンザ。
何をインフルエンザくらいと思うかもしれないが、独り身のインフルエンザは本当にしんどかった。
このまま意識が飛んだら俺は死ぬかもしれない
本気でそう感じて、最後の力を振り絞って玄関の外へ飛び出し、エントランスホールをゾンビのように這って助けを求めた経験はそれなりにショッキングだった。
死を限りなくリアルに感じた体験を通して、死ぬということについて真剣に考えたくなった。
ボクの地元の鹿児島には、”知覧特攻平和会館”という第二次世界大戦の大日本帝国陸軍航空隊の特攻に関する資料が展示された施設がある。
しかし気軽に行くには、東京から知覧は遠い。
そういえば東京には、戦争博物館があるらしい。
調べてみると、意外にも自宅から30分ほどの距離に遊就館と呼ばれる戦争博物館があることを知った。
靖国神社のあの巨人のような鳥居をくぐったのもはじめてのことだった。
靖国神社というと、どうしても右とか左とか、思想的なイメージが強くて自然と避けていたから。
実際、神社の周囲にはたくさんの警察官が配備されてバリケードが張ってあり、明らかに他と違う空気が流れていた。
遊就館は、想像した以上に大東亜戦争を賛美するような、思想色の強い施設だった。
しかし戦没者の声が聞きたくて、死をリアルに感じたくて遊就館へと訪れたボクにとって、そんなのはどうでもよいこと。
英霊(戦没者)の残した言葉に触れ、人の死を追体験する
1,000円のチケット(拝観券)を購入し、駅の自動改札のようなQR読取機にチケットをタッチして、常設展に続くエスカレーターへと足を進める。
展示は60分コースや120分コースなどいくつかのコースにわかれていて、ボクは一番長い120分コースを選んだ。
120分コースでは、古代から近代までの歴史を、武人や戦、戦争といったテーマを軸に資料や解説を見ながら学ぶことができる。
プロローグゾーン、近代史を学ぶゾーンを抜けると最後に、英霊の「みこころ」にふれるゾーンへと続いている。
英霊のみこころゾーンでは、壁一面におそらく何万という数の第二次世界大戦戦没者の遺影が飾られており、戦地で命を落とした人たちが家族へ宛てて書いた遺書も展示されている。
遺影に写っているのは、ほとんどが20歳やそこらの若者だ。
気高しい遺書を書いたのも。
まだ幼い顔なのに。
やっぱり人って死ぬんだなあ。
約3時間、さまざまな思いを馳せながら見学を終えた。
常設展を出るとすぐミュージアムショップになっていて、靖国神社に関するグッズが売られている。
あれだけのものを見て思いが高まったあとだもの、そりゃ買っちゃうよね。
ボクが買ったのは、『英霊の言乃葉』という小冊子だ。展示もされていた戦没者の遺書がまとめられている。
1冊500円で1〜10巻があったので、ひとまず1巻だけ購入。
きっとまた来るし、来る度に1冊ずつ購入するんじゃないかな。
明日死ぬかもしれないという思いを持って生きる
スティーブ・ジョブズが、有名なスタンフォード大学卒業スピーチの中で、こんな言葉を残している。
17歳のときに、こんな言葉と出会いました。「毎日を人生最後の日だと思って生きていれば、いつかその思いが正しいとわかる日がやってくる」。そして、過去33年にわたり、私は毎朝鏡に向かって「もし今日が人生最後の日ならば、今日するつもりでいたことをやるだろうか?」と自問してきました。そして「ノー」という答えが何日も続くようならば、何かを変えるべき時が来たと気づくのです。
もうすぐ死ぬかもしれないという思いは、人生で大きな選択をするときに、自分にとっての最も大切なツールになりました。死を前にすれば、周囲の期待やすべてのプライド、失敗への恐れなどどこかに消し飛んでしまいます。そして残るのは、本当に大切なことだけです。心に従わない理由などありません。 引用:スティーブ・ジョブズのスタンフォード卒業スピーチ全文翻訳 〜人生から学んだ3つのストーリー〜 – 週刊アスキー
ボクは幸いこれまで大きな怪我や病気をしたこともないし、家族も元気だ。
でも人はいつ死ぬかわからない。
地震大国の日本では、阪神・淡路大震災や東日本大震災のような大災害が起こる可能性は極めて高い。
災害に遭わなくたって、通勤中に飲酒運転の車に轢かれるかもしれないし、通り魔に刺されるかもしれない。
ジョブズのように、余命半年のガンを宣告されるかもしれない。
自分に明日があるかどうかなんて、誰にもわからない。
もし明日死ぬことが確定していたら、ボクは今日をどんな風に生きるだろう?
今日と同じように生きて、明日死んでも後悔しないだろうか?
死を目の前に残された戦没者の真っすぐな言葉に触れて、今日を真剣に生きたいという想いがいっそう強くなった。