ゆっくり歩こう。鎌倉を歩いて感じたこと

愛読者諸兄諸姉。

こんにちは、ニシムラ(@nissy421)です。

先日、久しぶりに鎌倉を歩いたのですが、そのときに感じたことをまとめました。

ゆっくり歩こう 鎌倉を歩いて感じたこと

ボクは、歩くのが早い。ヒールを履いた女子と並んで歩くと確実に「歩くの早い!!」と激怒されるくらいには早い。もはや競歩でもしているかのような勢いだ。それは、別に東京に来たからそうなったとかではなくて、東京人が街を歩くと人が止まって見えるという、地元鹿児島に住むときからその傾向はあった。

せっかちなのだ。どうしようもなく。”何をそんなに行き急ぐことがあるのか”と自分でも不思議になるくらいに、何かに追われるようにせかせかと生きている。第3者に声を掛ける隙を与えず、逃げるように生きている。

ボクは、何から逃げているのか。”何 ”がボクを追い立てるのか。

たぶん、本当はそんなものなど存在しないのだ。見えない恐怖は、見えないからこそ恐怖なのであって、昼の2時にコンビニで堂々と買い物をしている幽霊など、誰に気にも留めないだろう。

前置きが長くなったけれども、今回の鎌倉旅でハッとさせられたことがある。(駅前は別として)鎌倉という、ゆったりとした時間が流れる場所に来てもなお、せかせかと歩いている自分に気づいた。

せっかちであることは、人生はどう作用するのか。少なくとも自分に関していえば、気ばかりが急り、中身がまったく追いつかないスカスカの状態で、そんな自分に嫌気が差してふさぎ込んでしまうこと数知れず。

自分でいうのも何だけれど、決して人と比べて能力が著しく低いわけではないと思うのだ。しかしこの性格が災いして、今ひとつハネることができない。

だから鎌倉を歩きながら終始、ボクは”ゆっくり歩く”ことを意識していた。いくら意識していても気がつけば息も切れるようなペースで歩いている自分に気づき、その度に歩みを止めて、深呼吸をしてから再び歩きはじめた。

たぶん歩くペースひとつでこんなに頭を悩ませているボクを、どうしようもなく小さい奴だ。細かい奴だ。面倒くさい奴だ。と思うかもしれない。実際そうなのかもしれないけれども、ボクはそれくらい、繊細に、丁寧に、生きていきたいのだ。