一般に、ブログは書けば書くほどよい。
1日1回より1日3回、1日3回より1日5回、1日5回より10回。
とにかく更新頻度を高めるのがよいと言われる。
僕も、ブログを本気ではじめて約3ヶ月間は1日1回以上のペースで書き続けた。
更新頻度を高めることはたしかに効果があるようで、毎日更新をはじめて2週間ほど経つと、アクセス数は加速度的に増えはじめた。
もちろんTwitterやはてなブックマークでシェアしていただいたことや、それによってドメインの評価が高まった影響は大きい。
でもそれ以上の収穫は、書けば書くほど文章を書く速度が向上したことだ。
毎日書く前は、1000文字というのがかなりのボリュームに思えていたのだが、今では2000文字でもまだ少ないと感じるようになった。
しかし反面、失ったと感じているものもある。
それは、言葉の”重み”だ。
言葉は、無料だ。
いくら使っても減らないし、なくなることはない。
一般的に、そう思われている。
でも本当のところは、少しちがう。
言葉は使えば使うほど、薄くなる。
舌触りの軽い、コンビニで飲む1杯100円のアメリカンコーヒーのように。
薄くて軽い言葉には、コクがない。
苦味もない。
僕は、コーヒーはブラック派だ。
それも、特別濃くて苦いのが好きだ。
言葉だって同じだ。
コクがあって、重厚な言葉が好きだ。
そういった言葉は、丹田で気を練るように、心の中で凝縮されて、はじめて紡ぐことができる。
執行草舟先生の『生くる』の中に、言葉に対する理想の在り方が示されている。
「言葉は、心に感じていることそのままに、人間存在の本質から発している。それは善悪を通り越し、祈りとも言えるものだから、人間の心を創り上げていく働きを持っている。言葉を重んずれば、他人だけではなく、自然からも重んぜられる。
言葉は生き物と変わらない。時代の変遷によって、変化発展していく。昔の言葉づかいが良くて、近頃はなっていないなどと言う気はない。むしろ、昔よりも良くなった言葉づかいも沢山ある。しかし確かに、現代は言葉が軽んぜられ乱れていると感ずるのは、私だけではあるまい。
言葉の本質を考えれば、口に出したことがその人の心を表わす。だから、少々言葉づかいなどを直しても無駄なのだ。言葉がおろそかにされているとは、口に出してはならぬことを、平気で口にする現状が生み出している問題だと私は思っている。その心が正されなければ、正しい言葉は使えない。
どんなに口に出して言いたくても、我慢をしなければならない。それだけで、我々の心は必ず、正しい言葉を発する心へと変貌していく。
言葉が正されれば、その人物には品格がもたらされる。品格は高貴性を引き寄せ、人生に輝きを与える。言葉は、自己の人生を生きたものにする力があるのだ。」
書く行為も、同じだと思う。
もちろん、仕事で書かなければならない場合もある。
僕は何でも書く。でも、魂は売らない。
アクセス稼ぎのために、芸能人のスキャンダルや人の生死をとやかく書くことはしない。
歴史や先人を批判しない。
自慢をしない。
ブログの更新は最低1日1回ではなく、1日1回までという考え方があってもいいかもしれない。
言霊と言われるように、本物の言葉には魂が宿る。
言葉を心の中で鍛えて磨き上げ、濃厚で味わい深い魂の宿った言の葉を紡ぎたい。