ITエンジニアのデビュー戦/好きと向き合う/山の頂へと続く道

mei170831

エンジニアに、挑戦することになった。

正確には、明日からとある会社で研修を受け、エンジニアとして働くことになる。エンジニアといっても様々だが、ボクが従事するのはネットワークやサーバーを扱うインフラエンジニア。ちなみにエンジニアの入り口にはプログラマーという選択肢もあるけれど、こちらは未経験で30代以上の人間にはインフラ系以上に門戸が狭い。

君がオヤジになる前に』の中でホリエモンが指摘しているように、体力が最大で一番の働き盛りは20代だ。そして30代であるボクは、すでにオヤジという沼で溺れかけている。

「オヤジ」とは、年齢的なものではない。あらゆることー家族との向き合い方や仕事への接し方、服装や体型に至るまでーを、より良き方向へ改善しようとすることを放棄してしまった者たちへの表現

20代の頃に比べ、チャレンジ精神というのか、勢いが衰えているのは日々感じるところだ。しかしまだ、almost drowningな状態であっても完全にdrown(=溺れ死ぬ)したわけではない。

カーネル・サンダースがケンタッキーフライドチキンを創業したのは65歳のときだ。まだまだ人生を諦めるには早すぎる。

そもそもどうしてド文系のボクがエンジニアなのか。

ひとつには、ITの世界に対する羨望によって駆り立てられている。コンピュータやITは、幼いころからずっとボクのそばにいた。はじめてコンピュータに触れたのはたしか1990年前後。当時家にあった父のワープロは、驚くほど巨大で画面もまだ白黒だった。触れると言ってもタイピングの練習をしたり付属していたピンボールのようなゲームで遊ぶ程度のことだが、好奇心旺盛な子どもにとってはファミコンと同じくらい魅力的だった。

中学生の頃には掲示板でカードやアイドルのグッズを売買して小遣いを稼いでいたし、なんといってもパソコンには男子中学生の夢(エロ)が詰まっていた。

でも、それだけだ。ボクの触手は常に画面に映し出される情報のほうに向き、コンピュータそれ自体へ向かうことはなかった。まったく興味がなかったわけではないが、自分は文系人間であるという自負が、ボクとコンピュータを大きく隔てていた。

生兵法は怪我の元。なまじ知識があるものだから、学校や会社のアナログで頑迷固陋なやり方に不満が募る。あまりに憤って夏休みの課題を丸々データで提出して大目玉を食らったこともある。ただし、あーでもないこーでもないと口だけは達者なのだが、じゃあお前がやってみろという話になってもとんと受けつけない。

高校生の頃、大好きだったプレイステーションをさっさと売り払ってしまったり、テレビを自室から排除したり、要するに、怖いのだ。ハマってしまったら、得体の知れない大切な何かを失ってしまうような気がしていつも踏み出せずにいる。勢いだけで生きてきたくせに、変なところで臆病風を吹かす。

人生は一度きり。興味があるのなら、難しいことは考えずにとっととやってしまったほうがいい。失敗したっていいじゃないか。それもまた人生。

ITの世界は深い。立ち止まることなく貪欲に最新の知識や技術を追いかけなくてはならない。エンジニアという仕事とて、クラウド化や海外の労働力の台頭によって決して明るくはない。まあでもそんなことはどうでもいい。興味があるからやる。それだけのこと。

今度こそ、頂上まで登ってみたい。

今までいろんな道を登ろうとしては、「足が痛い」「喉が渇いた」といって途中で引き返してきた。たぶんボクが登ろうとしてきた山は、どれも同じ山だ。いくらルートを変えたって、それが山であることに代わりはないし、どのルートから登ったって困難は伴う。そして、どのルートも、きちんと頂上へと続いている。

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