血をとるか、絆をとるか
仕事は大手ゼネコンのプロジェクトリーダーを務める建築家、自宅は高級タワーマンション、車はレクサス、美人の妻と優秀な息子…何の申し分もない、幸せを絵に描いたような誰もが憧れるエリートサラリーマンの一家に、突然の不幸が訪れる。この春から私立小学校に通う最愛の息子は、実は自分の息子ではなかった。病院で取り違えられた、赤の他人の子どもだった。順風満帆だったはずの一家の幸福が、音を立てて崩れ落ちる。
2013年9月に公開された福山雅治主演の映画『そして、父になる』のストーリーである。福山雅治と尾野真千子が演じる野々村夫妻の6歳の息子は、リリー・フランキーと真木よう子演じる斎木夫妻が産んだ子どもだった。そして自分たちが産んだはずの子どもは、3人兄弟の長男として斎木家で育てられていた。
しかも悪いことに、斎木家は野々村家とは正反対の貧乏な家族だった。今にも潰れそうな電気屋を営んでいる父親の雄太(リリー・フランキー)は、子どもたちと遊んでばかりでまるで稼ぐ気がないらしい。そのくせ話し合いの場では、病院に対する慰謝料の額ばかり気にしている。
良多(福山雅治)は絶望した。もともと、息子の慶太が勝ち気な自分に似ず、穏やかな性格であることを訝しんでいた。「やっぱり、そういうことか」思わずこぼれた言葉は、取り違えに気づけなかったことにショックを受ける妻のゆかり(尾野真千子)の胸に鋭く突き刺さる。血がつながっていないとはいえ、6年間有り余る愛情を注いできたのである。
「2人の子どもを両方とも引き取ってしまおう」そう考えた良多だったが、話し合いの末、結局子どもは交換することとなった。慶太は斎木家にうまく馴染んでいったが、実の息子であるはずの琉晴は、良多をお父さんと呼ぶことを拒み、家出をして斎木家へ帰ってしまう。そして、自分の気持ちばかりで子どもの気持ちを無視してきたことを恥じた良多は、交換を取りやめ、慶太とともに生きていくことを決断するのだった。
「そして父になる」というタイトルは、家庭を顧みず仕事に邁進してきた良多が、慶太と向き合い、父親として生きていく覚悟を決めた瞬間を表している。その先は描かれてはいないが、大きな苦難を乗り越えた野々村一家にはきっと幸せな未来が約束されているのだろう。
是枝裕和監督・脚本で、「新生児取り違え」という非常にシリアスなテーマを扱った本作は、福山雅治が父親役を演じたことでも話題となり、カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞している。公式出品の上映後には約10分間のスタンディングオベーションが起こり、是枝監督や福山らは感極まって涙したそうだ。
新生児の取り違えは、現実世界でも起こりうるのだろうか。日本での実例としては、1953年に起きた東京都墨田区の賛育会病院での取り違えが有名だ。取り違えによって貧しい生活を強いられた男性は病院を提訴し、2013年に勝訴している。(参考:新生児取り違え – Wikipedia)
この物語の肝は、取り違えが病院側の過失ではなく、看護師によって故意に取り替えられた点だ。看護師は裁判で自分の罪を証言したが、すでに時効が成立していたため彼女が罪に問われることはなかった。動機は、幸せそうな野々村家に対する嫉妬だったそうだ。永年抱えてきた闇を吐き出した彼女は、ずいぶん心が晴れたことだろう。
もし「ムシャクシャしてやった」という理由で取り違えが起こるのだとしたら、表沙汰にならないだけで現実社会で起こっていても何ら不思議のない話だ。決して許されることではないが、無機質な仮面を被ったエゴイズムが交錯する世界では、ギリギリのところで踏みとどまっている人間も多いんじゃないか。
良多と雄太のまったく正反対な生き方にも、考えさせられるところがあった。仕事での地位や金銭的価値を追い求めることが必ずしも幸せなのだろうか。もっと大切なものがあるんじゃないか。そんな風に問われているような気がした。
『そして父になる』是枝裕和[監督] 福山雅治[主演] (2013)