「自分を探したくない」少女の、自分探しの旅。
舞台は、拘置所の薄暗い部屋の中でうずくまる少女が、刑務官に出所を言い渡されるシーンからはじまる。同じ拘置所からスタートする物語でも、オーシャンズ11のようなポップな期待感はなく、少女はいかにも気だるそうに塀の外の世界を歩き出した。
21歳の佐藤鈴子(蒼井優)は、飲食店でアルバイトをしながら実家で暮らすフリーター。ひょんなことから友人の彼氏と2人でルームシェアをすることになったのだが、猫を捨てられた腹いせに彼の荷物をすべて廃棄したことで刑事告訴されてしまう。
拘置所から帰ってきたものの実家に居づらくなった鈴子は、家族に「100万円貯まったら出ていきます」と宣言。そして100万円貯まったら次の街へ移り住む、鈴子の流浪の旅がスタートする。
海の町、山の町、地方都市の町。それぞれの町で小さなドラマがあり、ひとつひとつ苦難を乗り越えながら成長していく鈴子。最後の町ではバイト先の中島(森山未來)と恋に落ち、ちょっとしたサプライズもあるのだが、それは本編を観てのお楽しみ。
ボクはこの作品が大好きだ。ロードムービーなら『スタンド・バイ・ミー』だって『幸福の黄色いハンカチ』だって名作だけど、『百万円と苦虫女』は何度観ても、また観たいなと思う。激しいアクションがあるわけでもなく、びっくりするようなトリックが隠されているわけでもない、よくある青春映画を、だ。
たぶん、郷愁という言葉が、ボクの気持ちを表現するのに一番しっくりくるような気がする。鈴子が移り住む街々は千葉、埼玉、茨城、福島など、関東近郊でロケが行われたそうだが、どれも街よりも町という言葉がよく似合うのどかな風景だ。そしてそれらの風景は、一度は捨てた故郷を懐かしむのに十分すぎるほど美しい。
ボクには故郷と呼べる故郷がない。というのも父の仕事の都合で、幼い頃から3,4年ごとに住処を転々としていたからだ。家の窓から海を見渡せる町にも、あたり一面に田畑が広がる町にも、鬱蒼とした森の中にある町にも住んだ。どの町にもそれぞれの魅力があるのだが、どの町もことごとく田舎だった。
平穏な田舎の生活に飽き飽きし、極彩色の希望を抱いて東京という地を踏んでから十数年。東京は、時間の流れが早い。誰もが足早に行き交う街を、誰よりも早く駆け抜けようとした。歩くことに必死で、いつの間にか自分がどこに向かって歩いているのかわからなくなってしまった。そして気がつくと、目の前にはひどくくすんだ世界が広がっていた。
山の町で、桃娘を断った鈴子が町民から激しく糾弾される陰湿なシーンがある。田舎をバカにされたようで少し嫌な気分になったが、たしかに田舎は面倒くさい。学校から帰ると、家の玄関には毎日のように誰かが収穫した野菜が置かれている。飲み会は持ち回りで、月に1度は町中のオヤジたちが家に集まりどんちゃん騒ぎを繰り広げる。
東京は社会だが、田舎は世間だ。良くも悪くも人と人が深く結びついて成り立っている。マンションの隣の部屋に誰が住んでいるかもわからないほど人間が希薄な社会に住む人には、理解できないほど暑苦しい。
都心の雑踏の中を歩いていると時々、どうしようもない孤独に襲われることがある。こんなに近いのに、はてしなく遠い。失ってはじめて、ウザくて面倒くさい世間の心地よさを想うようになる。東京在住者のうち4割から5割が地方出身者だと言われるが、田舎を捨てて東京に出てきた人間には本作に懐かしさを覚える人も多いんじゃないか。
若者はすべからく自分探しの旅に憧れるが、「むしろ自分を探したくない」と言う鈴子の旅は、自分からの逃避行だ。でも、どんなに旅しようと自分は見つからないし、どれだけ逃げたって、自分から逃れることはできない。自分は、自分の中にしか存在しない。ラストシーンで次の町へと旅立つ決心をした鈴子は、いつもの苦虫顔がウソのように晴れ晴れとしていた。
『百万円と苦虫女』 タナダユキ[監督・脚本] 蒼井優[主演](2008)