もっとカッコいい自分になるために「カッコいい」を捨てる

愛読者諸兄諸姉。

こんにちは、ニシムラ(@nissy421)です。

あなたにひとつ質問があります。

ネットの自分とリアルの自分は、同じですか?似ていますか?それとも、全然違う人ですか?

今日はそんなことについて考えました。

もっとカッコいい自分になるために「カッコいい」を捨てる

何を禅問答のようなことを言っているのだと思われるかもしれないが、本気で、そう思っている。

昨日はずっと、Amazonプライムで配信中のバチェラーという番組を見ていた。東大卒でスポーツ万能のイケメンIT起業家を巡って、選ばれし25名の美女たちがプリンセスの椅子を巡って熾烈な争いを繰り広げる。「あいのり」や「テラスハウス」も然り、こういう番組はすこぶる面白い。

たった一人の男性の寵愛を受けるため、あの手この手を使ってバチェラー(未婚男性)を振り向かせようとする女性たちを見ていて、こんなことを考えた。

ブログやSNSでは、誰もがカッコいい(カワイイ)自分を演じたがる。自分というブランドを立てるために、あるいは承認欲求を満たすため、少しでも自分をよく見せようと試行錯誤する。実際、外見なり金なり地位名誉なり、綺羅びやかなアイコンには、田舎のコンビニの外灯に集まる昆虫のように、多くの人が集まる。アイコンそのものに興味のある人も、アイコンが生むお金に興味がある人も、みんなみんな群がってくる。

それが世の常だから、ブランディングなんて言葉が持て囃されるわけだ。ビジネスとしてアイコンを演じるのは、俳優がテレビドラマで役に徹するのと同じで、あながち間違いとも言い切れない。

ところが、SNSは近い。発信者と受信者を分け隔てる壁が、圧倒的に低い。それでも上手くやっていく人もあろうが、どうもボクにはそんな芸当は出来そうにない。カッコいい自分を演出し続ければ、いずれ自我が崩壊する。

ドラマというのは、物語が大団円に向かって盛り上がっていく様を楽しむものである。そしてその高低差が大きいほど、楽しい。最初から完成されたアイコンを演じるのもいいが、等身大のクソみたいな人間が、泥に塗れながら足掻き、這い上がる過程を、人なおもしろいと感じるものだ。

自分という人間のドキュメンタリーを綴るドキュメンタリーブログでは、苦しみや葛藤も含めて、全部さらけ出すのがいい。中途半端に見栄を張るのではなく、本質的なカッコよさを願い、カッコよくなろうと努力する様を、すべて包み隠さず発信していく。

もちろん、ドラマは感動のラストが約束されているからこそ人を惹きつけるわけで、這い上がる努力もせずただプカプカと浮いている人間の、終わりの見えない泥遊びを延々と見たいと思う人は稀である。