こんにちは、ニシムラ(@nissy421)です。
最近、私はアパレルの物流倉庫で検品やデータ入力の仕事をしています。
それで、通常の勤務時間は21時から6時までなのですが、昨日は朝9時ごろまで残業がありました。
私は入ったばかりだからか、社員の方に何度も
「大丈夫?」
と心配されたのですが、正直全然キツくなかったんですね。
むしろ今までやってきた自動車工場の期間工や引っ越し屋、イベントの設営撤去みたいな仕事に比べたら天国みたいに楽な仕事です。
しかも給料は残業がなくても一日一万円ほどもらえて、通勤も1本で楽ちんだし、仕事終わりにお給料も受け取れるし、いまのところ何の不満もありません。
でも、ひと月前に入って仕事を教えてくれている先輩はものすごくグッタリしていて、何度も「疲れた」「疲れた」と愚痴をこぼしていました。
それで思ったんです。
不幸や不満って絶対的評価の主観的な妄想なんだなーって。
同じ仕事をしているはずなのに、大変だと感じる人もいれば、楽だと感じる人もいる。
でももしかしたら私も、ひと月経てば先輩と同じように「疲れた」と不平不満を口にしているかもしれません。
私は今までいろんな仕事を経験してきて、佐川急便の仕分けに行ったときなんて、辛すぎて途中で腰が曲がらなくなってリタイアし、その後3日間まともに体を動かすことができませんでした。
それこそ「この世の地獄だ」「こんな辛い仕事はない」と思ったのですが、そんな仕事だって平然とこなしている人たちがいます。
「辛い」「苦しい」という感情は私の心がつくりだした妄想に過ぎないんですよね。
今までたくさんの仕事をコロコロと変えてきて唯一よかったと思うことは、この不幸の構造について身を持って感じるキッカケを持てたことです。
そして不幸が妄想だとしたら、しあわせもやはり妄想です。
しあわせの尺度は、自分で決めることができる。
つまり、自分がしあわせだと思えばしあわせになることができるということです。
ただし人の心は、絶えず変化します。
今の仕事に対して、今の私は比較的しあわせを感じています。
でも慣れてきて刺激がなくなれば、たちまち仕事に不幸を感じるようになるかもしれません。
人間には防衛本能があって、本能的にネガティブなことを考えるようにできています。
だから変化が乏しい平坦な毎日を過ごしていると、おのずとネガティブなことを考えてしまうんです。
しあわせになるためには、自分からアクションを起こさなければなりません。
しあわせは意志を持って掴みに行かなければ、決して向こうからはやってきません。
ではどんなアクションを起こせばいいのかというと、妄想をするんです。
いつもしあわせな言葉を口にして、しあわせなことを考え、しあわせであり続けるために努力をする。
決してネガティブな言葉は口にしない。ネガティブなことは考えない。
しあわせには、それだけの覚悟が必要なのです。
これは自分自身に言い聞かせています。
私には、しあわせになる覚悟が足りない。
しあわせになる努力もしていない。
ただなんとなく人生の時間を浪費しています。
「ありのままでいい」なんていいますが、大抵の人間はありのままでいてもしあわせになることはできません。
私は絶対にしあわせになります。いつもしあわせな言葉を口にして、いつもしあわせなことを妄想します。愛の人になります。二度と不幸にはなりません。