たいした努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力する

愛読者諸兄諸姉。

おかえりなさいませ、ニシムラ(@nissy421)でございます。

今、あなたの目の前にはふたつの道があります。ひとつは、得意だけど退屈な道。もうひとつは、好きだけど苦労の多い道。はたしてどちらを選ぶのが正解なのでしょうか。

今宵は”たいした努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力する“という選択のお話しをいたしましょう。

文章の書き方を勉強するなんてバカじゃないの?

誤解を怖れずに申し上げますと、私は国語(日本語)が得意です。

父親が国語教師で、物心がついた頃にはすでに”自分は国語が得意なのだ“という自覚がありました。

小・中学校のテストの点数は満点ばかりでした。作文コンクールで何度も入選しました。

高校時代は教科書を開いた記憶がなく、大学受験でも1年間英語のみを勉強しておりましたが、やはり国語の試験はまったく余裕でした。

大学でも、社会に出てからも、国語や日本語で苦労したことはありません。ブログも独学で稼げるようになりました。

読書の虫になったのは二十歳を超えてからのことで、幼いころは漫画ばかり読んでおりましたし、何か特別に勉強をしたわけでもないのに。

国語が苦手だという人のことはまるで理解できませんし、正直、文章術やら作文の技術やらのマニュアル本を読む人間のことを「わざわざ日本語の書き方を勉強するなんて頭悪いんじゃないの?」と小バカにしておりました。もちろんそういった類の本は数えるほどしか読んだことがありません。

こいつ何調子に乗ってるんだ!国語が得意な奴なんて巨万といるわ!

そう思われましたか?なるほどたしかにその通りですね。しかしどうか腹を立てないでください。私にとってはそれがコンプレックスでもあるのです。

私のいう国語とは学校教育の枠の中にある標準的な日本語であって、標準から逸脱したおもしろい文章やクリエイティブな文章を書く能力という話になると、私にはとんと才能がございません。(才能があるかどうかすらわかりません)型にハマったお利口な文章しか、私には書くことができないのです。

私にとって、国語は退屈です。

だからこれまで私の趣向は一切そちらのほうへは向きませんでした。

いや、得意なことで努力して結果が出ないのを怖れて、自分に言い訳をしてきたのかもしれません。得意なことから逃げていただけなのかもしれません。

教職を志して大学へ進学したときにも、得意な国語ではなく好きな英語を選びました。

社会に出てからも、まったく素養のない畑違いの仕事にばかり足を突っ込んできました。

私はいつも刺激や張りを優先させ、苦手を克服することに仕事のやりがいを見出してきたのです。

そして、見事に玉砕してまいりました。

いくら単細胞な私でも、もう薄々気づいております。自分のやり方が間違っていると。

たいした努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力する

人気予備校講師の林修先生が、就活メディアのインタビューにてこんなことを仰っておりました。

たいした努力をしなくても勝てる場所で、誰よりも努力する。それが成功の近道だ。

身に染みるお話でしたので、少し紹介させて頂きます。

僕は本当は、塾講師の仕事って大嫌いなんですよ。塾講師なんて死んでもやるもんかって思っていましたから。でも教えることには自信があった。学生時代から家庭教師を山のようにやっていて、教え方にも定評があった。そのことを知っている人から塾で働いてみないかと声をかけられたんです。

(中略)

東進ハイスクールに入ったのは、27歳の時です。最初は英語の学習アドバイザーのアルバイトでした。でも、本当は数学の講師をやりたかった。数学がいちばん好きでしたから。それで、そのことを上の人にアピールして、数学の講師をやらせてもらうことになったんです。

しかし、そこでふと考えた。本当にその教科でいいのかと。数学で勝てるのかと。それで、東進の人気講師の授業をすべて見て回ったんです。その結果、自分が勝てると確信したのが、現代文でした。決して好きな教科ではなかったのですが。でも、現代文なら勝てる。そんな場所で人の何倍も努力したら、間違いなくトップに立てると。

よく、「好きな仕事だから、成果が出なくてもいいや」って思っている人、いるでしょ。僕、そういう考え方、大嫌いなんですよ。仕事ってそういうものではないのではないでしょうか?お金をもらっている以上、要求されるのは成果のみです。完成度の高いものをいかに提供するか。これがプロとして一番大切なことなんですよ。だから僕はどんな仕事でも完全に仕上げなければ、納得しない。仕事は好きだからやるもんじゃないし、ましてや嫌いだからできないなんて甘ちゃんの言うことです。嫌いでも、そこで勝てると思ったなら、やるべきだし、一度始めたら全力でぶつかるべきなんです。嫌いだからこそ、モチベーションも上がるんです。嫌いな仕事で手を抜くなんて、本当に最低です。必要なのは、好き嫌いを超越した、自分がお金をいただいている仕事へのプライドだけでいい、と考えています。

(中略)

じゃあ、やるべきこと、つまり勝てる場所を見つけるのは、どうしたらいいか。簡単です。とりあえず、まずいろいろと、少しでもいいから手を出してみたらいいんです。どっかに必ず、「あれ?こいつよりオレのほうがうまくいくな」というものがあるはずです。常に自分を客観的に見て自分を分析していたら、すぐにピンとくるはずですから。

(中略)

みんな、できることを増やそうとするけど、それが間違いなんです。できることは、1つでいい。後はみんなできなくていい。僕の周りで成功している人は、みんなそうですよ。できることじゃなくて、できないことを増やしていくことが大切なんです。 引用:【いつやるか?今でしょ!】林先生のキャリアパス「勝てる場所で誰よりも努力する。それが勝つための最強の法則」 – リクナビNEXTジャーナル

必要なのは、好き嫌いを超越した、自分がお金をいただいている仕事へのプライドだけでいい

結果を出している人の発する言葉はどうしてこんなにもパワフルなのでしょう。”好きなことで、生きていく“が持て囃される今の時代だからこそ、心に止めておきたい至言。

毎日ブログを書くのは努力ではない

年初ということで意気込み的なエントリばかりで恐縮ですが、今年は”文章を書く“仕事と本気で向き合ってみようと思います。

ブログを毎日書くのは、プロの歌手が毎日発声練習をするのと同じくらい至極当然のことです。努力でもなんでもありません。

その上で、たんと勉強しましょう。たくさん本を読みましょう。たくさん書きましょう。

物を書く仕事のお話しがあった際にも、これまでは「こんなレベルの低い仕事をどうしてオレが?」と、お金をいただける有り難みを忘れてことごとくお断りしてまいりました。

それは物書きとしてのプライドではありません。見当違いな見栄です。

時間に追われて「まあいっか」と納得しない状態で文書を出すのは止めましょう。

“まあいっか”は私の悪癖です。”まあいっか”の積み重ねが私といういかにも中途半端な人間を形成しました。

拙くてもいい。現状の自分の全力を出して120%納得した文章を出し続けることで、少しずつ能力が磨かれていく。”まあいっか” “しょうがない”といつも70%の文章を出していては、いつまで経っても成長せず、言葉の筋力は衰えていくばかりです。

なぜ自分はおもしろい文章が書けないのか。

なぜ自分はエモい文章が書けないのか。

もっと刺さる文章を書くために、自分に足りないものは何なのか。

言葉と格闘しましょう。言葉を突き詰めてまいりましょう。得意なことで、人の何倍も努力してみせましょう。

得意の先にきっと”好き”が待っていると信じて。