自分のブログをカテゴライズしない。ヴィレヴァンのような混沌とした世界観に個人メディアの価値を見る

自分のブログをカテゴライズしない。ヴイレバンやドン・キホーテのような混沌にこそ個人メディアの価値がある

こんにちは。ニシムラ・ケイイチ(@nissy421)です。

1月の運営報告で、ブログの方向性に迷っているというお話をしました。

それでいろいろと考えていたんですが、筆が止まってしまうのって、記事に対する反応に敏感になりすぎて、

何か役に立つことを書かなくちゃ、気付きを与えなくちゃ、高級な文章を書かなくちゃっていうブログのべき論みたいな意識が自分の中にあるからなのかなあ。

それって言うのは、仕事に飽きて長続きしないのとおなじで、毎日淡々とブログを更新することに退屈してるだけじゃないか?なんて感じました。

なんだか、塾講師の仕事を思い出すなあ。

時の重み

僕は英語を担当してたんですが、英語の授業って、年間を通してカリキュラムが決まってるんですね。

テキストも毎年ほとんどおなじ。

特に英文法なんて話す内容もほぼ一緒なんですよね。

生徒にとってははじめてだけど、僕はすでにいろんな校舎でおなじ説明を何十回もしてるんだよ!! みたいな笑

それを考えると、学校や塾の先生ってすごいですよね。

何十年もおなじことを説明しつづけるんだもん。

でもそれって、美容師でも営業マンでも主婦でも、淡々と繰り返すって、どんな仕事でもおなじですもんね。

仕事ってそういうものなのかもなー。

おなじことを繰り返すことで、少しずつ質があがって磨かれていく。

すし職人の世界に飛び込んだこともあるんですが、親方は50年以上鮨を握りつづけている人だったんです。

営業中、僕はカウンターのうしろに立ってお茶くみをしてたんですが、お客さんとか店内のどんな小さな変化にも気がつくんですよ。

もはや気づくというか、感じているといったほうが正しいかもしれない。

50年の時の重み、忍耐の凄みに本当にびびっちゃって。

無秩序な個人メディアの価値

ブログ運営には独自性や専門性が大切で、発信する内容をしぼらなきゃいけない。

それはたしかにひとつの真理です。

でもあえてカテゴライズしないで自由にブログを書いてみるのもアリなのかもしれません。

僕がヴィレヴァンとかドン・キホーテが好きなのって、あのわけわかんない混沌とした無秩序な世界観に興奮してるわけで、Web上にそんな空間をつくるのもおもしろいんじゃないのかなって思いました。

これまでのブログを否定したい気持ちになってタイトル変えたり、サブディレクトリに記事をうつしたり試行錯誤はしてるんですが。

これまで書いた記事だって、専門ブログや大手メディアより上位表示しているキーワードもあるし、収益も発生してます。

なんていうんだろう。

同じ場所にいてほこりがたまって、ブログの良し悪しを判断する僕の目のほうが濁ってたのかもしれない。

冷蔵庫がちょっと汚れたら買い換えようとか、部屋が散らかってるから引っ越ししようってのは絶対ちがうよね。

汚れたってちゃんと掃除して磨けばピカピカになるし、愛着だってわく。

この記事には(はじめ書いてたけど)あえて削除したんですが、自分の好きなもの、欲しいもの、興味のあるもの、関わりのあるものを、100個ほど箇条書きで列挙してみました。

それらのキーワードが全部あつまって、僕という人間を形作っているわけで、そこにブログの世界観が生まれます。

だからこそあなたの個人ブログにも価値があるし、それがマスメディアにはない個人メディアの魅力なのかもしれません。

うまく考えがまとまらないけど、今日のところはそんな感じです。

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